この記事はデジクリブログリレー 4日目の記事です。
こんにちは、自分のことをマルチクリエイターだと思いこんでいる18thのイカ爆弾です。自分のことをマルチクリエイターだと思い込んでいるので不用意にAviUtlやらREAPERやらblenderやらに手を出(してはちょっとやって下手の横好きを露呈という結果に終わら)すのですが、創作分野の中でも文字書きを特にやっていると自負しています。しかしデジクリに文字書きが見当たらない。もしや自分が知らんだけで普通にいるのかもしれないんですが、少なくとも自分は把握していないです。なので文字書きを布教しようというお気持ちでこの記事は書かれます。
この記事(#1)は主に文字を書くことによるリターンの増大を、もう一つの記事(#2)は書くことのコストの低減を企図するものです。#1ではなぜ他の表現方法ではなく文字なのか、文字にしかできないことは何なのかについて説明し、#2では#1を踏まえて「そうは言っても文字書くの難しいし……」となる皆さんに逃げ場を与えない皆さんをサポートする書き方についての解説を行います。なお、#1と#2は共に自己流のそれであることにご留意ください。なお、主として一次創作を念頭に置きますが、二次創作でも概ね同じことが言えるでしょう。
文字が表現方法として持つ特徴は、情報量の少なさという言葉にまとめることができます。文字は視覚的情報をあまり持ちません。音声も同様です。それらの分野において文字は絵や音楽と比べて絶望的に少ない情報量しか持ちません。これがデメリットであり、同時に文字でしか達成できないメリットにもなります。
情報量の少ないことによるデメリットについては特に説明する必要は無いでしょう。苦慮する部分であり、どうにかしようと七転八倒するところです。どんな創作分野でもそういうところはあるでしょう。
逆にメリットについて。創作の文章を読むとき、ただ文字を追うだけの読み方がされることは無いはずです。文字を追うだけでなく、その情景を想像しながら読むというのが必然でしょう。
クトゥルフTRPGをやっているような方であればわかりやすいとは思うのですが、我々が物事を想像するとき、その「想像」は我々の完全な制御下に置かれているわけではありません。ちょっとした情報量の積み重ねによって、意図せずして 頭を殴られたような/苦虫を噛み潰したような/目を光で焼かれたような 想像が起こることがあります。クトゥルフTRPGで言うところの狂気です。
具体例を示します。もっとも、上述のような体験は何千文字・何万文字かの積み重ねの上に起こるものなので、示されるものはより簡単な例です。
パペッティア人は答えない。
「そうか、思いだしたよ。あんたたちは、臆病なんだったな。あんたの種族の全道徳律は、その臆病さの上に成り立ってるんだっけ」
ラリイ・ニーヴン著、小隅黎訳『リングワールド』早川書房、第4刷p. 12より
この例では、(実際にはもっと文脈がありますが)この文だけで発言者の辟易する様子が目に浮かぶようです。この発言をした人が眉間に皺を寄せ、ため息をつき、肩を落としながら面倒そうにする様子が頭のなかですぐさま再現されます。あるいは足を苛立たしげに揺すりながら会話の相手を睨みつけ、肩をいからせて皮肉を吐いているのかもしれません。そういった想像が頭の中に展開され、文は脳を直接捉えるのです。
これを何倍にも強くしたクソデカ感情の吐露を、脳を捉えられたために真正面から受け止めざるを得ない状況に追い込まれる。読者にそういった体験をさせるものが文字です。
「うおお文字が書きたくなった、でもどうやって書けばいいのかわからん……」となったら#2の方へどうぞ。
オタクはクソデカ感情が好きだと私が思い込んでいるためクソデカ感情を書くのに最も適している媒体が文字であるということの布教もします。
クソデカ感情、まあいろいろあります。日常系以外のオタク作品はクソデカ感情駆動といっても問題ないでしょう(偏見)。恋、妬み、殺意、憧れ、絶望、信仰といろいろなクソデカ感情の枠組みがあり、それぞれ細分化されたジャンルになっています。ところでクソデカ感情はただ提示されるだけではいささか飲み込み難いことが多いです。ただクソデカと言われてもそのクソデカ度合いを推し量りづらかったり、間が悪ければ「そうなんだ」で終わってしまうことすらあるでしょう。そこで文字を使ってみましょう。あなたが脳内で思ったそのクソデカ感情が、相手の脳を捉え金属バットでぶん殴るような文章に出力されることができれば、あなたの脳内のクソデカ感情も必ず相手に伝わってクソデカ感情殺人事件を起こせることでしょう。
文字書きになってクソデカ感情を振り回しましょう!
ペア記事: #2 / 文字書き布教のための書き方略説
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